CASTLE JOURNAL / 長野県・松本市
松本城
まつもとじょう / 平城
AIによる創作イメージ。人物・衣装・景観は史実や現況の正確な再現ではありません。
黒と白の城に残る、
建物の記憶と、
人々の思い。
五重六階の仕組み、開放的な月見櫓、市民が残した天守。
2025年の創建年代調査も踏まえ、松本城の面白さをひもときます。
黒い城に、三つの物語。
水堀に映る姿が印象的な松本城。外観だけでなく、木造建築の仕組みと、残してきた人々の歴史を知ると、天守を見る時間がもっと豊かになります。
黒と白には、
素材の理由がある。
下部の黒い部分は黒漆塗りの下見板、上部は白漆喰。色の対比を楽しみながら、雨から壁を守る工夫にも目を向けてみましょう。
外は五重。
中には六つの階。
屋根の段数と床の数は同じではありません。外からは気づきにくい三階の存在が、天守を立体として理解する手がかりになります。
築造年代も、
調べ続けられている。
2025年に松本市が公表した調査は、年輪や建築の痕跡から従来の説明を再検討しました。「古い城」には、新しい発見があります。
五つの建物がつながる、
松本城の天守群。
国宝に指定されている天守群は、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の五棟。乾小天守と大天守を渡櫓が結び、大天守に辰巳附櫓と月見櫓がつながる「連結複合式」の構成です。
黒い部分は、壁を守る下見板。
大天守の外壁は、上部が白漆喰、下部が黒漆塗りの板です。下見板は、屋根だけでは防ぎきれない雨水から壁を守るもの。遠景では黒い面に見える場所も、近づいて板の重なりを意識すると、素材と仕上げの違いが分かります。
外から見えにくい、窓のない三階。
三階の周囲には二重目の屋根がめぐるため、窓がありません。外から屋根を数えただけでは分かりにくい階です。暗さや天井、柱に残る加工の跡を見ながら、建物の内側に入り込んだ感覚を味わってみてください。
2025年、年輪が教えたこと。
「いつ完成したか」が、年単位で書き残されているとは限りません。松本市の調査は、文献だけでなく、木材と建物そのものを手がかりにしました。
松本市は2022~2024年度に創建年代を調査し、2025年に報告書を刊行しました。従来の市の見解は1593~1594年の築造を有力とするものでしたが、調査では大天守の柱四本について1596年の伐採が確かめられました。
| 対象 | 2025年調査の整理 |
|---|---|
| 天守台石垣から天守まで | 石垣着工は1594年頃、天守建設は1596~1597年頃と推定。全体として約四年間の工事と考えられています。 |
| 辰巳附櫓 | 従来は後世の増築とされてきましたが、取り付きの痕跡と石垣から、大天守などと一連の創建工事とする見解が示されました。 |
| 月見櫓 | 1626年伐採の梁などから、1626年頃に約二年程度をかけて増築されたと考えられています。 |
この節は2025年公表の調査結果に基づく紹介です。松本城公式サイトの一部の解説には、以前の築造年代や増築説も残っています。年代が確定した部材と、建物全体の時期についての推定を区別しています。
備える天守、開く月見櫓。
天守群を巡るなら、建物ごとの空間の違いも見どころです。大天守・乾小天守・渡櫓には、狭間や石落などの防御設備。一方、月見櫓には、外へ開くつくりや、朱色の回縁が見られます。
小さな開口と、
厚い壁。
弓や鉄砲に備えた狭間は、外の様子を見るための開口でもあります。窓との違いや、高さ・向きに注目してみましょう。
石垣直下へ向く、
守りの開口。
石落は、壁に沿って近づく相手に対応するための仕掛け。天守群のどこにあるのかを考えると、防御の範囲が見えてきます。
外へ開く、
明るい空間。
北・東・南の三方に開口を設け、回縁には朱色の刎ね勾欄。船底のような天井の形にも目を向けてみてください。
将軍を迎えるため、という話は?
公式解説には、徳川家光の来訪に備えて松平直政が櫓を整えた、という従来の話も紹介されています。ただし、月見櫓の時期を1626年頃と考える2025年調査とは整合しません。このページでは、その話を築造理由の確定事実として採用していません。
「戦いの時代の城に、平和な時代の櫓が加わった」という対比は空間を知る入口になりますが、辰巳附櫓まで一律に後から造られたと説明すると、最新の調査結果を取りこぼしてしまいます。
城を残すために、
人が集まる場所にした。
松本城を守ったのは、歴代の城主だけではありません。明治には、城に新しい役割を見つけた住民がいました。

みんなが来る場所に。

城への関心も、育つ。
公式資料に基づく創作漫画です。せりふは引用ではなく、人物の容姿・室内・展示物・背景は演出です。市川量造本人の肖像や、当時の博覧会の配置を再現したものではありません。
もう一つの危機は、建物の傷み。
残すことが決まっても、建物の傷みは止まりません。外装や土台を支える柱の劣化で天守が傾くようになると、松本中学校長の小林有也らが保存と修理に尽力しました。住民へ募金を呼びかけ、修理は1913年に完了します。
市川量造と小林有也。二人の仕事は、同じ時点の一つの出来事ではありません。破却の危機に対する博覧会の開催と、その後の傷みに対する保存修理。異なる課題に、それぞれの時代の人々が応えました。
名前も役割も変えながら、
残ってきた城。
平地の城を拠点に
松本城の前身は深志城。武田氏の時代には、信濃を治める拠点として使われました。
小笠原氏が回復
武田氏滅亡後、小笠原貞慶が城を回復し、松本城へ改称。城下町も整えられます。
石川氏の城づくり
石川数正が入城し、子の康長へ事業が引き継がれます。天守群の建築は、前節の最新調査も合わせて見てください。
月見櫓の増築
2025年調査は、月見櫓をこの頃からの増築と推定。天守と一体に見える姿にも、異なる時期の工事が含まれます。
住民が保存へ動く
払い下げや破損の危機に対し、博覧会の開催や募金による修理が進められます。
現行法で国宝指定
天守五棟が文化財保護法のもとで国宝に指定されました。以前の国宝保存法による1936年の指定とは制度が異なります。
現地で見つけたい、五つの発見。
外からの鑑賞と、内部での観察をつなぐメモです。公開範囲や順路は当日の案内を優先してください。
堀越しに、五棟のまとまりを見る。
最も高い大天守だけでなく、その周囲へ視線を動かします。渡櫓や月見櫓が見える方向では、屋根の高さや色の違いも探してみましょう。
見るヒント:大きな城の輪郭を、複数の建物として読む。黒い壁を、素材として見る。
日差しの向きや距離によって、黒い面の表情は変わります。白漆喰との境目や、下見板の重なりが分かる場所に注目。
見るヒント:「黒い塗装」だけでなく「壁を守る板」。三階で、外の屋根を思い出す。
窓がないのは、二重目の屋根に囲まれた階だから。外で見た姿と今いる場所を結びつけると、五重六階が分かりやすくなります。
見るヒント:暗さを、建物の構造の手がかりにする。渡櫓で、曲がった梁を見上げる。
自然の曲がりを生かした木材も使われています。まっすぐな材だけでつくられているわけではないことに、木造建築の面白さがあります。
見るヒント:古い材の形を生かす仕事。月見櫓で、空間の違いを感じる。
開口の多さ、朱色の回縁、船底のような天井。防御設備を見た後だからこそ、開放的な意匠が印象に残ります。
見るヒント:隣り合う建物でも、雰囲気は同じではない。
平地の城でも、
天守の中には急な階段。
| 場所 | 長野県松本市丸の内4番1号。地図のピンは城の位置の目安です。 |
|---|---|
| 入場口 | 本丸庭園の入口は南側の黒門。赤い埋橋の先から入場することはできません。 |
| 歩く負担 | 外周散策と天守内の登りは分けて考えましょう。天守内は狭く急な階段が続き、エレベーターはありません。 |
| 見学時の注意 | 天守内は土足禁止。階段付近は撮影禁止です。手すりを使い、撮影は足を止めて可能な場所で。 |
| 時間の考え方 | 公式FAQでは天守内の見学は空いていれば30~40分、混雑時は60分程度。入場前の待ち時間や外周散策は別に見込みます。 |
| 時間・料金 | 訪問日の観覧案内を確認してください。公開範囲や混雑によって計画を調整しましょう。 |
よくある疑問を、もう一歩。
大天守は1594年に完成した、と書いてよい?
その年だけを確定年として示すのは適切ではありません。2025年調査は、天守台石垣の着工から天守竣工までを1594~1597年頃、大天守の建設自体を1596~1597年頃と考えています。古い説明との違いを添えて読む必要があります。
「月見櫓は1633年ごろ」という説明も見るけれど?
従来の説明と2025年の調査見解が異なる部分です。新調査では1626年伐採の梁などから、それ以前の時期に増築されたと推定しています。本文では新調査を採用し、家光来訪にまつわる話を築造理由の確定事実とはしていません。
松本城は、天守だけを指す名前?
天守は城の一部です。堀や城門、御殿跡なども含めて城の空間が形づくられていました。外周や御殿跡にも視線を広げると、城の規模と役割が見えてきます。
漫画は実際にあった会話の再現?
せりふ・人物・室内の描写は創作です。博覧会の開催や保存修理の経過は公的資料に基づいていますが、会話の記録を再現したものではありません。
